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第4回:僕のワイヤレスライフ

2011/12/07 - 大谷 和利

ジョブズも渇望したワイヤレスな世界

スティーブ・ジョブズは、たぶんキーボードのファンクションキーと同じくらい、ケーブル類が嫌いだった。それは、NeXTcubeの本体とディスプレイがアンビリカルコード(へその緒)と呼ばれる、たった1本のケーブルのみで接続されていたことからもわかる。

アンビリカルコードは、ディスプレイの仕様にもよるが、電源、ビデオ/音声信号、ADBをまとめて1本化したものであり、ケーブルの本数を極力減らしたかったジョブズ肝いりの仕様と言えた。彼は、後のPower Mac G4 Cubeでも、電源、ビデオ、USBのケーブルを1本にまとめたADC(Apple Display Connector)を開発させている。

1984年に初代Macintoshを発表したとき、ジョブズはすでにブックMacの構想を抱いており、翌年は発売すると豪語していた。だが、当時の心身共に燃え尽き状態にあったMacチームが、さらに難易度の高いそのような製品開発に従事していたとは想像しがたく、それは単に彼の願望に過ぎなかったのだろう。しかし、ケーブルの呪縛から解き放たれて、どこへでも持ち運んで作業できるマシンというものに憧れていたのは間違いない。

1999年の初代iBookの発表時に、Ethernetケーブル無しにインターネットアクセスするデモを見せた際に、マシンをフラフープに通して確かにワイヤレス接続されていることを強調したジョブズは、いつにも増して得意げに見えた。

MacBook Airでは、とうとうEthernetポート自体を割愛してワイヤレス接続をデフォルトとし、どうしてもワイヤードで使いたいユーザーはUSBポートに差し込むEthernetケーブルアダプタを有償購入しなくてはならなくなった。

iPadの開発時にも、プロトタイプのメモリ容量やバッテリーの持ちに不満を持ち、設計を2度もやり直させたほどの彼は、やはり、厄介なケーブルに束縛されずに長時間使える製品を求めていたのだ。

そして、完成したiPadは、特にiOS 5の登場以降、充電ケーブル以外はつながなくても利用できる製品に仕上がった(もちろん、ファンクションキーもない)。


WalkMacの思い出

かくいう自分も、ワイヤレス、ケーブルレスのデバイスには早くから憧れていた。

1987年、Macintosh Plusに内部回路を追加し、外付けのOHP用モノクロLCDパネルを専用映像ケーブルで接続してHyperCardなどのプレゼンテーションを行なっていた僕は、1台のラップトップMacに興味を持った。

Colby Systemsという会社が作っていたWalkMac (www.chuckcolby.com/walkmac.html) というその製品は、純正Macを分解して、樹脂製アタッシェケースの中に収めたようなもので、世界初のバッテリー駆動可能なMacintoshだった。

たしか、電池による連続駆動時間は、せいぜい1, 2時間程度だったと思うが、とりあえずそれだけ持てば簡単なプレゼンテーションには十分だ。加えて購買意欲をそそられたのは、ディスプレイ部を外し、さらにバックライトを分離すると、そのままOHPに載せて投影ができるという点(上記Webページの一番下のプロトタイプ参照)である。

しかし、当時、その機能はまだ開発中とのことで、とりあえず本体だけを個人輸入することになった。このときは自分で成田の税関まで受け取りにいった覚えがある。

WalkMacは、アメリカ取材にも携行するなど、それなりに活躍してくれたが、改造機であるという出自からか、キーボードのチャタリング(一回の打鍵で、数文字が入力されてしまう症状)に悩まされた。

そんな折、MacWorld ExpoのセミナーセッションだったかにColby Systemsの創立者兼エンジニアのチャック・コルビー氏が来るとの情報を得て、会場で彼を直接つかまえ、その場で修理を依頼したことがあった。彼は無償でキーボードパーツの交換に応じてくれ、しばらくは収まっていたが、しばらくして再発し、何らかの設計上の問題として諦めざるを得なかった。

それ以上に残念だったのは、OHPモジュールのアイデアが、結局はプロトタイプに留まってしまった点だ。その後、1991年にPowerBook 100(筆者注:当時のPowerBookには外部映像出力ポートがなかった)を購入した後も、ディスプレイがOHP対応だったらプレゼンテーションに利用できるのにと思いつつ、必要な場合にはMacintosh IIcxをカラーモニターごと持ち込んでプロジェクターにつなぐようなことをしていた。個人的に、ノートMacだけでプレゼンが可能となったのは、1992年にPowerBok Duo 230を入手してからのことだったのである。


ノートMacをメインマシンにして

いずれにしても、1989年のMacintosh Portableを見たときには、まだその気は起こらなかったが、PowerBook 100を手にして以降、ライターとしてのメインマシンをノートMacにしていくことに決めた。

もちろん、当時のQuickTimeベースのデジタルビデオ編集や、雑誌記事用などのアプリケーションの検証用などにパワフルなカラーのデスクトップモデルは必要であり、Macintosh IIcxの後もPower Macintosh 8100/80AV(1994)や、アップル社復活のきっかけとなった初代iMacなどは購入していた。だが、原稿執筆には常にノートMacを活用し、Duo 230の後には、業界初のトラックパッド内蔵モデルのPowerBook 540cや、ポータブルMacで初のCD-ROM搭載モデルだったPowerBook 1400c、PowerBook G3 233などが愛機となっていった。

すると、デスクトップMacを使っているときには気にならなかったが、ノートMacではネット接続のためのモデムケーブルやイーサーネットケーブルの脱着がとても煩わしく思えてきた。

この問題を解決してくれたのが、1999年にデビューした初代iBookだ。このモデルは、"iMac to go"、つまり「持ち出せるiMac」というコンセプトで作られ、貝殻を大きくしたような特徴的なフォルムと折りたたみ式のハンドルを備えていた。そして、その最大のメリットが、ワイヤレスネットワーク用のアンテナを世界で初めて内蔵し、オプションのAirPort(日本では商標の関係でAirMac)カードを装着してベースステーションすれば、インターネットへの無線接続が可能になることだった。  今でこそ、かなりの家庭とほとんどのホテルでWi-Fi環境を利用できるが、対応デバイスが普及しなければ、そうした整備も進まなかったに違いない。その意味で、初代iBookの存在は人類にとっての大きな一歩であり、ワイヤレスネットワーク対応をハイエンドではなく、エントリーモデルから始めたところに、ジョブズのビジョナリーとしての優れた資質が感じられるのだ。


バッテリー駆動時間の問題

初代iBookの後、僕はチタニウムボディのPowerBook G4を購入したものの、途中でヒンジ部分を破損してしまい、修理するよりはとその時点で最新だったアルミ製のPowerBook G4(15インチ)に切り替えた。そして、CPUのインテル化と共に、再びメインマシンをMacBook Pro(同)へと移行していった。

その間にも、Wi-Fi規格の進化でネットワークへのワイヤレスアクセス速度が高速化され、一般的な用途であれば、あえて有線接続をする必要はなくなっていく。そこでジョブズが満を持して放った製品が、2007年の初代iPhoneだった。

iPhoneは、携帯電話を装いながら、その実、インターネットコミュニケーターとなることを目指して開発されたスーパースマートフォンと言えた。GMS規格ベースの初代は、日本国内の携帯電話網では利用できないため個人的には見送り、代わりに初代iPod touchを購入した。Wi-Fi環境でしかネットにつなげなくとも十分に便利だった反面、いや、だからこそ、この環境がユビキタスに使えればと、iPhoneの日本市場への対応がますます待ち遠しくなったことを覚えている。

そして、ジョブズの大胆さが再び発揮されたのが、2008年の初代MacBook Airだった。アップル社はこのモデルのイーサーネットポートを割愛し、Wi-Fi接続メインのノートコンピューターを作ってしまったのだ。

ちょうど、手元のMacBook ProのCPUがCore Duoで、Core 2 Duoのマシンが必要だったこともあり、今度は、このミニマムな製品をメインマシンとすることにした。

僕は万が一を考えて、念のためUSBポートに装着する純正のイーサーネットアダプターも購入し、出張先や海外では、それのお世話になることもあったが、その後の巷のWi-Fi環境の普及によって、ほどなく無用の長物となった。

当初は20万円を軽く超えるプレミアムモデルだったMacBook Airも、今では9万円を切る価格のエントリーモデルとなったわけだが、改めてジョブズの先見の明(もあるが、実際にはビジョンを実現するための弛まない努力)には驚かされる。

ある意味で、初代MacBook Airによる市場実験がiPadの礎となった部分もあり、さらにiPadの成功が第二世代のMacBook Airへとつながっていったと考えられよう。おかげで、今も、次に買うべきマシンをiPadにするかMacBook Airにするべきかという相談を頻繁に受けるようになってしまった。

この答えは、最終的にはその人が何をしたいのかによるわけだが、iOS 5以降、単体でワイヤレスネットワーク経由のシステムアップデートも可能になったiPadは、もはやほとんどの人のファーストマシンとして問題なく利用できるレベルにあると言って良い。これに対し、もう少しクリエイティブ寄りの用途も考えるなら、MacBook Airが良いでしょうと答えるようにしている。

自分は、iPad 2以降、MacBook Airの出番が減っていたのと、OS X LionのAirDrop機能(ベースステーション不要で、Wi-FIを介して、近くのLion搭載Macにファイルをワイヤレス転送できる)が初代AirのCore Duoでは利用できないため、たまたまアップルストアで安価に売られていたユニボディのMacBook Pro(やはり15インチ)が現在のメインマシンとなっている。

しかし、外へ持ち出したりセミナーなどで資料の提示を行なうのは、iPad 2になっており、プレゼンテーション自体もほぼ完全にiPad 2上で作成している。


待望のAirPlay

iPad 2が手放せない理由の1つに、iOS 4.2から試験的に実装され、iOS 5でフルサポートされるようになったAirPlayがある。これは、対応機器に対して音楽や写真、動画をワイヤレスに飛ばしてストリーム再生できる技術だが、僕がもっぱら使うのは、プレゼンテーションにおけるイメージとビデオ系データの送信機能だ。

そのために、Apple TVと、その映像出力に合わせてHDMI端子付きのビデオプロジェクターを揃え、プレゼンテーション会場には、AirMac ExpressおよびJAMBOXスピーカーと共に会場に持ち込むようにしている。

この一式があれば、万が一現場に無線LAN環境がなくとも、ローカルなWi-Fiゾーンを構築して、AirPlayによるワイヤレスプレゼンテーションができるからだ(ただし、AirPlayで利用するWi-Fi転送と、JAMBOXのBluetooth再生は同時使用不可のため、後者はプロジェクターにケーブル接続して使う)。特にiOS 5以降、iPad 2(とiPhoine 4S)では画面のワイヤレスミラリングも可能となり、あらゆるアプリケーションを縦横自由なオリエンテーションで見せることができるようになった。

この環境を学校の教室や企業の会議室に導入すれば、学生や社員は、席を離れずに、自分のiOSデバイスから宿題や資料などを自由に見せられるようになり、授業やミーティングの進め方に改革を起こすはずだ。

僕はジョブズの訃報をiPad 2上で知り、彼の公式伝記もiPad 2上で読むことになった。それは少し悲しいことだとしても、ジョブズ自身が望み、僕も夢見たワイヤレスライフは、今、ここに実現しているのである。

大谷 和利
テクノロジーライター、原宿AssistOnアドバイザー、自称路上写真家。デザイン、電子機器、自転車、写真分野などの執筆活動のほか、商品企画のコンサルティングを行う。近著に「iPodをつくった男」、「iPhoneをつくった会社」、「43のキーワードで読み解く ジョブズ流仕事術」「iPadがつくる未来」(以上、アスキー新書)。「Macintosh名機図鑑」(えい出版社)、「iPhoneカメラライフ」(BNN新社)、「スティーブ・ジョブズとアップル 奇蹟の軌跡」(晋遊舎ムック。共著)など。「懐中雑誌ぱなし」の寄稿者の一人でもある。

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