コラム&レビューコラム&レビュー

第1回:ワイヤレスの、その先へ

2011/07/27 - 本田 雅一

ぼくらは毎日、未来のことを考えている。明日のこと、将来の夢を想像することは、何にも代えがたい、前向きな気持ちを整えるために大切なことだ。しかし、これからの世界を想像するためには、過去を遡ってみることも、今を知るために未来を想像することと等しく、とても大切なことなのだ。

過去において、ぼくらはさまざまな分野で「自由」を求めてきた。自由の求め方はさまざまだ。バラバラだったコンポーネントをひとつにまとめることで、誰もが使いこなせる一体化した自由を求めた製品もあれば、そうした考え方とはまったく逆方向に、必要な部分だけを切り取って持ち出す自由を提供した製品もある。

どんな製品、どんなサービスも、利用者にたくさん使ってもらえなければ、その価値は徐々に薄れてしまう。使いづらく、利用するために、気持ちの上で「よしっ」と気合いを入れなければならないようだと、いつしか便利で素晴らしい性能や機能をもった道具も、使わなくなるものだ。

だから、昔のラジカセ、最近ならば録画機能を内蔵したテレビのように、あるものはシンプルさを求めて複数の機能をひとつにまとめ、さらに一体化した製品としての完成度を高めていく。これもひとつの自由を求める動きなのだ。

しかしこの10数年、もっともめざましい変化をもたらしたのは「アンワイヤード」、すなわち、電線による呪縛からユーザーを解放するムーブメントだ。ワイヤレス、無線、コードレス。さまざまな呼称で呼ばれている、今では当たり前の製品は、ほんの少し前までは当たり前ではなかった。

先人たちが戦ってきたアンワイヤード闘争が、いかに今の生活に自由を与えてきたかは、アンワイヤーされた製品が、いま再び電線に捕縛されたライフスタイルを思い浮かべてみればわかる。電話、パーソナルコンピューター、マウス、マイク、スピーカー、リモコン(そう、昔はテレビのリモコンだって有線だったのだ!)、ヘッドセットに、イヤホン、電車の切符にスキーのリフト券。アイロンなどの家庭用品に思いを巡らせてもいい。

ぼくらの生活を、どれほど多くの「アンワイヤード」が取り巻いていることか。そのすべてがワイヤードになったなら、どんなにか不便なことだろう。こうしたアンワイヤード闘争を支えてきたのは、言うまでもなくバッテリー技術と無線技術だが、アンワイヤードなデジタル世界はいままさに、ネットワーク技術とスマートフォンが生み出す新たな文化によって、次への新しい一歩が踏み出されようとしている。

技術者たちによるアンワイヤード闘争、すなわちワイヤレス製品の開発は、電線による束縛から逃れるために通信部分を無線化することから始まった。しかし、電波による無線化には、一対の送受信装置が必要になる。個々の製品をワイヤレス化していたのでは、管理しきれないほどの送受信装置を使う羽目になる。

Bluetoothという技術はそうした問題を解決するために作られた。ひとつの無線技術で、多種多様な電線による接続をアンワイヤーできるのがBluetoothの良いところだ。まるでプチッとプラグを差し込むように、周辺装置をワイヤレスでつないでいける。おそらく、このコラムを読んでいる方には、すっかりお馴染みの利用スタイルだろう。

しかし今、すでにアンワイヤード闘争は次の段階へと移り変わろうとしている。

有線、無線が入り交じるコンピュータネットワーク(今ではスマートフォン、デジタル家電など多種多様の装置がコンピュータネットワークに接続されている)の中に潜む価値を紡ぎ合わせ、新たな価値を生み出す。これがアンワイヤード化が進んだ後、これからの挑戦だ。

ネットワークに接続されたデジタル機器を、パッチワークを縫い合わせるようにつなぎ合わせ、ひとつの美しいテクスチャーに仕上げていく。代表的な例はAppleのAirPlayだろう。AirPlayはスマートフォン、タブレット、パソコン、テレビ、オーディオ機器など、デジタル化された家庭向け機器を、ひとつのシンプルな枠組みでつなぎ合わせ、コンテンツの相互利用(メディア共有)の概念を超え、デバイスの相互利用へと発展させている。

目の前にあるスピーカーは、手元のスマートフォンのスピーカーであり、タブレットで見ている映像は、リビングのテレビからでも再生できる。パソコンを使い旅行の写真を電子アルバムに整理できたなら、家族みんなでリビングのテレビを使ってそれを見る。コンテンツと再生機器、操作機器は有線・無線のネットワークで結びつけられ、物理的にどこに配置されているかなど、誰も気にする必要がない。

なんと先進的なことか! とAirPlayを賞賛する声もあるが、実はこうしたコンセプトは以前から語られてきていた。異なる分野のデジタル機器をネットワークでつなぎ、複雑なアプリケーションをシンプルに見せる。そして、複雑なアプリケーションをシンプルに見せるユーザーとの接点にはPDAを用いる。そんな現代的なコンセプトをビジュアル化し、我々に見せてくれたのは実はソニーだった(ユビキタス・バリュー・ネットワークと呼ばれるコンセプト)。

AirPlayが登場した背景には、かつてソニーが提示した夢のネットワークの世界を実現できるインフラと技術が、誰でも気軽に始められる低価格な機器とともにユーザーに提供されるようになったことである。

携帯電話(スマートフォン)、テレビ、オーディオ、パソコン、タブレット。従来は別々だったこれらは、これからひとつの大きな枠組みの中で、まるで一体化した複合機器のように連動をし始める。家の中でも外でも、そのとき、その場所に適した機能性が提供されるようになる。AirPlayは、まだ次の段階へと進むための第一段階でしかない、ということだ。

たとえば先日、NTTドコモが発表した新しいスマートフォンには、音楽、動画、写真を他の機器に送受信し、さらにリモコンとしても使えるアプリケーション「Twonky Mobileスペシャル」が無償配布されるそうだ。これは彼らが「docomo Connected Home」と呼ぶ、新しいコンテンツ再生環境を整えるための”仕込み”だ。

みなさんの中には、DLNAという略語を聞いたことがある人もいるだろう。これはデジタルコンテンツをネットワーク上で共有、配信するための仕組みなのだけど、長い間の努力も虚しく、これまではあまり広く使われてこなかった。しかし、NTTドコモがもっとも身近なコンピューターであるスマートフォンを”DLNAレディ”にすることで、状況は少しずつ変わっていくだろう。

同様の動きはたとえば、東芝にも見ることができる。東芝はスマートフォン、パソコン、テレビを横串で刺す「Smart X」と呼ぶ共通プラットフォームを構築すると発表した。DLNAを応用するだけでなく、オリジナルアイディアのアプリケーションやサービスを組み合わせる事で、より高い付加価値や使いやすさを目指す。

もちろん、ユビキタス・バリュー・ネットワークというコンセプトをかつて掲げたソニーも、やっとその間に取り組んできた成果を披露する場を持てるようになりそうだ。Sony Tabletの2モデル、Xperiaシリーズ、それにPlayStation Suiteといったゲーム開発基盤、Qriocity(キュリオシティ)やミュージック・アンリミテッドなども日本でのサービス提供準備に入った。

Appleの例を除けば、これらの構想は相互利用が可能なオープン標準を基礎に練り上げられている。アンワイヤーされたデジタル機器は今、ネットワークを通じて相互に自身が管理するメディアのサーバーとなり、相互にメディア再生を担うレンダラーとなり、相互に操作や連動の指示を出すコントローラーになろうとしているのだ。

誰もが思わず顔をほころばせる、見事なパッチワークを作り出すためのアンワイヤーされた要素は揃ってきた。それを縫い合わせるための糸も、準備万端整っている。これからの1年、その成果を知るチャンスは何度も訪れるだろう。それに伴い、アンワイヤーされた機器はその価値を、さらに高めていくことになるに違いない。

本田 雅一
フリーランスジャーナリスト、オーディオ&ビジュアル評論家、コラムニスト。
テクノロジーを起点に多様な切り口で、商品、サービスやビジネスのあり方に切り込むコラム、レポート記事などを多数執筆。近著に「今から始めてらくらく使える ツイッター超入門」「これからスマートフォンが起こすこと。」など。

コラム

レビュー:国内

レビュー:海外

このページのトップへ